大阪メトロ四ツ橋線北加賀屋4番出口すぐ、インパクト大の看板と店名が出迎えてくれる『俺の名はJ』。
2020年5月5日の開店後、コロナ禍に見舞われながらもメディアに取り上げられたことや、リピーターのお客様、インフルエンサーの方々の口コミなどで人気を集め、食べログでは★3.57、ラーメンデータベースで88.199ポイントを獲得するほどの人気店へとなりました。
そんな『俺の名はJ』さんの開業までの経緯や苦労、それを乗り越えたお話、成功に至るまでの秘話をお聞きしました。
目次
開業までの経緯
儲かるイメージだったラーメン屋
18歳で大阪へ出てきて、その夏くらいから大学を出るまで同じラーメン屋でアルバイトをしていたんです。
15年前くらい、その頃まだ大阪ではラーメンが激戦区ではなくてめっちゃ儲かってるイメージだったんですよね。
でも、やっぱり今ほどおしゃれな感じでもなかったので「こんな仕事絶対やりたくないわ」と思いながらも時給が良かったので働いていました。
大学を卒業した後は、サラリーマンを1年間やったんですけど「合わないな」と思って辞めることにしたんです。
ずっとアルバイトをしていたラーメン屋にもお客さんになってもらっていたので、「辞めるんです」と話しに行きました。
そしたら「うち来ぉへんか」と、そこの社長が言ってくれて。そこで2年くらい働きましたね。
新しいラーメン屋をやってみたかった
そこも古いタイプのラーメン屋だったんですよね。24歳くらいから「自分で店を持ちたいな」と思うようになって。
「自分でラーメン屋やるならもう少し違うラーメンを」と思っていて、もう少し新しいこと勉強したいなと思っていたんです。
その時、偶然自分が好きだったラーメン屋が募集をかけていたので、正社員として3年くらい働きました。
その後共同経営で一度独立したんですが、色々あってだめになってしまって。
それからは転々といろんなところで働いて、オープンの立ち上げを担当することもありましたが「そろそろ探さなあかんな」と思っていた頃に、たまたま偶然今の北加賀屋のところにいい物件を見つけました。
コロナ禍での開業
浅はかな考えではあったんですけど、立地もいいし家賃安いし。
中心地だと家賃が高いですが、そこは安かったんで、「スロースタート」っていうのを考えて2020年の2月中旬くらいに契約したんです。
そうしたら、その後コロナの真っ只中になってしまって、どうするか迷ったんですが無理やりオープンをしたものの、「手持ちが5万円しかないという状態になってしまいました。」と岡さんは苦笑する。
「レジ金合わせて10万円」くらいだったので、いろんな業者さんに頭を下げて「売掛にしてくれ」とお願いしてなんとかスタートしました。
その頃とんこつ味でやろうと思った理由は、開業した頃、鶏白湯が流行っていたからなんです。
だから「同じことやっても意味ないな」と思って。
大阪は、とんこつ味が少なかったのでそこに目を付けて、少ない方でチャレンジしようかなと思ってとんこつ味のラーメンになりました。
名前の由来は、『好きなパチンコで「俺の名はルパン三世」というのが出ると熱い。』という演出があって、それにならって「俺の名はJ」としました。と岡さんは笑いながら教えてくださいました。
一番人気メニュー:とんこつラーメン 790円(税込)※GW明けから値段が改定されます。
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苦労したこと、失敗したこと、それらを乗り越えたエピソード
メディアの力に助けられた
今も苦労していますけど、オープンバブルはあったんですが、1週間、2週間、1ヶ月くらいでした。その後はドーンって売り上げが落ちて。
コロナの緊急事態宣言とかなんやかんやあって、昨年の実績というのがないので支援金もおりませんでした。
結果的に、昼でお客さん2人とかそういうレベルまで落ち込んでしまいました。
そのため、僕は半年くらい給料なしでやっていました。嫁に頭を下げて「なんとかするから」と。
また、5月にオープンして、その1か月後に妻の妊娠が発覚したんです。
それもあって「とにかくなんとかしなきゃ。」って頑張って。
そうこうしていたら年末に「す・またん!(読売テレビ)」というテレビ番組の取材があって、ちょっと売上が良くなり、また、その翌年の夏前くらいに「よ~いドン!(関西テレビ)」のの人気コーナー「となりの人間国宝さん」の取材が入って、それで一気に加速しました。
メディアの力はすごいと思いました。
「となりの人間国宝さん」の取材の後、3か月くらいは逆に忙しさで大変でしたね。
今も試行錯誤しています
失敗というと、何が正解かもわからない、失敗ばかりですね(苦笑)
ワンドリンクサービスなんかも原価的にうちはやっていけない。
悩みと言えば、「集客」に悩んでいますね。
都会だと人は多いけど、家賃は上がっちゃうし。
リピーターさんや、たまに来るインフルエンサーさんとかそういう人の口コミで、じわじわ認知されて来ている感じですかね。
結果的に色々なことを乗り越えられたのは、奥さんの力や、業者の皆さんの協力ですね。
某中古屋さんにはよくしてもらって、機器や厨房用品を揃えました。
カウンター4卓、テーブル4名席×2卓の12席
開業してみてはじめてわかったこと
「これぐらいの家賃で、これぐらい売らなきゃいけない」というのはやらなきゃわからないですね。
自分の店の売上では、都会では多分やっていけないと思います。
都会ではないので家賃が安い。一棟貸しで、安い家賃でやっとやれています。
そんな状態なので、ほとんど自己資金でなんとかなったんですよね。
「借金がほとんどなく、そのプレッシャーがないのは良かったことですね。」と岡さんは感慨深く語る。
ブラッシュアップをし続けながら生み出されるラーメン
チャーシューにもこだわって丁寧に仕上げます
テンポスとのかかわり
厨房用品やネットでちょこちょこ見ます。
日本橋のお店を利用しています。
冷凍ストッカーとかを買いましたね。
「せっかくのご縁ですし、これからはもっといろいろみて利用したいと思います」と岡さん。
今後の展望・開業する方へのメッセージ
小さいことからコツコツと
目標としては「売り上げと知名度を上げたい」ですかね。
まだまだいけると思うんで、小さいことを積み上げて、コツコツ頑張ろうと思います。
偉そうなことは言えないですが「ちょっとしたことを積み重ねていく、ということが大事」だと思います。
「勉強を常にしてアンテナを張って、ラーメンだけでなくフレンチとかいろいろな味を勉強するといい」かなと思いますね。
後は「メンタルを強くすること」ですかね。
メンタルが弱い人にはおすすめしないです。
僕はSNSに色々書かれて、帯状疱疹になってしまいました(笑)
「色々手作りでブラッシュアップしていって、妥協しないで追い求めていく」ということ、「時代に合わせて変化していく」ということが大切だと思います。
まとめ
自分なりのラーメン屋さんを作り上げたい、という思いから、当時の大阪ではあまりなじみのなかったとんこつスープでの挑戦をした岡さん。
コロナ禍でのスタートとなってしまい大変な苦労をされたようですが、メディア露出をはずみにリピーターのお客様や、インフルエンサーの皆さんの口コミでじわじわ認知度を高め人気店の仲間入りを果たしました。
奥さんや、開業直後に授かったお子様と生きていくため、一生懸命頑張られ、業者の皆さんの協力にも助けられた、というお話は開業や、運営は一人の力ではできない、ということを考えさせられますね。
岡さんは「小さいことをコツコツと積み重ねていくことが大事」ということと、「常にアンテナを貼ることが大事」ということをお話ししてくださいました。
開業にあたっては、大変なことや問題が山積みになるかもしれませんが、ひとつひとつ地道にこなしていくこと、そして、開業後は常にブラッシュアップを重ねていくことが、長く飽きられることなく続けていくことが出来る秘訣なのだなと教えて頂きました。
また、「メンタルの強さ」の大切さも教えて頂きました。
今や、SNSなどで容易に情報を拡散できる世の中なので、良いことも悪いことも簡単に広まってしまいます。
そんな時に、悪質な書き込みなどに負けない強さは持ち合わせていたいですね。
テンポスドットコムでは、さまざまな視点からラーメン店の開業成功を全力で応援します。
自分のお店の業態に合わせて必要なものは何があるのか、詳細を確認することができますので是非ご覧ください!
#取材協力
店名:俺の名はJ
店主:岡 淳 様
住所:大阪府大阪市住之江区北加賀屋2-12-11
TEL:06-6681-8877(予約不可)