石川・北陸鉄道バス北町(きたまち)バス停から徒歩1分、見た目からも美味しそうなラーメンが出てきそうな店構えの「らーめん一心屋」は、2003年7月5日のオープン以来、食べログでは★3.45、ラーメンデータベースでは87.915ポイントを獲得(2024年4月26日現在)するなど人気ラーメン店となりました。
最近では、被災地への炊き出しボランティアを実施するなど、地域の皆様にも喜ばれるお店となっている「一心屋」さんの開業までの経緯や苦労したこと、失敗、それらを乗り越えたエピソードから成功に至るまでの秘話をお聞きしました。
目次
開業までの経緯
「まぁ、いけるっしょ!」と軽い気持ちで開業
金沢の本店は2003年7月5日のオープンでした。
僕は全然修行もしたこともなく、それまでは若かったバブルの頃から水商売をやっていて、全然お酒なんか飲めなかったけど、20代の頃から長年やっていました。
十年近くやっていましたね。
辞めてから2年、何もする気が起きなくて毎日魚釣りばかりしていました。
「次何やろうかな?」と思った時に、僕の好きなラーメン屋さんがあって(足掛け3年やっていたが今はなくなってしまったお店)そこのラーメンが好きで。
いつしか「僕もラーメン屋さんやってみたいな」という気持ちになっていたんです。
水商売をやるまでの経緯で、洋食・和食・中華という料理の世界を10代からやっていたもので、「ラーメンくらい作れるだろう」という簡単な気持ちと、その当時はまだ、金沢のラーメン業界は「ブルーオーシャン」だったということもあって。
当時行列店は2店舗くらいあったけど、そこと比べて、自分は「どれぐらいのものを作れるかな?」と考えた時に「ま、いけるっしょ」と思ったんですよね(笑)
その思いで物件探しをしていたら、今の場所の物件が決まって。
そこから約1ヶ月半、居抜きの店舗だったので、設備なんかをDIYしてお店づくりをしながら、ラーメンの味を考えました。
自分の手で居抜きのところから作り上げましたね。後は友達の設備屋さんに頼んで、配管を直してもらったりとかガスコンロの場所を変えたりしたのと、それに看板を直したくらいですかね。
当時、250万くらいの開業資金で始めることが出来ました。
1番人気メニュー:魚介とんこつのり玉ラーメン1,000円(税込)
鬼かつおのり玉ラーメン1,000円(税込)
魚介つけ麺のり玉: 1,120円(税込)
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苦労したこと、失敗したこと、それらを乗り越えたエピソード
オープンしたものの上手くいかず挫折
始めたはいいものの、修行をしていないし、師匠もいない。
ラーメン屋の仲間もいないしという状況で。
もうずっと試行錯誤で、本当にいざ店をオープンしてみたら全くダメダメで。
「自分でもそのラーメンがうまいのかわからず、という感じでした」と瀧音さんは苦笑する。
そんな中やっていたらやっぱりお客さんもこない。
一日8杯なんてこともありました。
11時30分から23時30分まで通しで12時間毎日休まず営業していました。
半年くらい過ぎたところで心が折れたんですね。
毎月赤字でこれは無理かも、と思って辞めようと思っていた。
来てくれるお客さんもまあ、いるにはいたんですけどね。
一日2、30人は来てくれるようにはなっていました。
それでも「12時間営業で」です。もちろん人も雇えない状況でした。
その頃は「せたがや」さんや「ひるがお」さんみたいな魚介系ラーメン、「麺屋武蔵」さんみたいなトレンドラーメンを作っていました。
清湯(ちんたん)系のスープでした。
お客さんの一言で状況が変わった
そんな時、暇な時間帯に来ていたお客さんと夢中になってしゃべっていたら、スープを煮込みすぎてしまったんですよね。
「大失敗した!」と思っていたら「捨てるくらいならそれ食べさせてよ。」とお客さんが言うので出したんです。
そしたらそれを食べた客さんが、冗談か本気かわからないですけど「こっちのほうが美味しい!」と言ってくれたんですよね。
自分でも食べてみたら美味しかった。
それで、破れかぶれで「これでやってみようかな」と思って。
そして、その日の夜からそのスープでやってみたんです。
それが今の、魚介系とんこつスープ系です。
もう、今来ているお客さんがこなくなってもいいや!というような勢いでやってみました。
当時はまだSNSとかも広まってない時代でした。
口コミで広まる時代で、その頃のお客さんはクイックレスポンスでした。
お昼に来たお客さんが家族連れて夕方また来てくれたり、二日続けてきてくれたり。
スープの味を変えてから、ものすごい勢いで人が来るようになって。
45cmの寸胴でやっていたんですけど間に合わないくらい。
夜の7時8時には売り切れるような状態にまでなったんです。
また、人手が必要だったんで、アルバイトを募集して20代後半くらいの子が来てくれました。
そして寸胴がどんどん大きくなっていきました。
更に人が足りなくなって、友達とかに声をかけていたんですけど、そのうちの一人が、仕事も辞めて手伝ってくれるようになったりしました。
「グラフで言ったら、徐々に伸びるんじゃなくて、ぐいーんと一気に上がる感じで売れるようになったんです。」と、瀧音さんは笑いながら話す。
そんな時、「Clubism(クラビズム)」(老舗の地元タウン誌)が2ページも使って取り上げてくれたんです。
それからは、開店前から人が並ぶようになりました。
20,30杯しか売れなかったものが、急に夕方までには100杯売れるようになって。
そして、土日には200杯売れるようになっていきました。
人を集めて頑張りましたね。
今では考えられませんけど、土日は昼までで200杯は売れました。
新店舗の開店と閉店
これではお客さんが入りきらないということで2号店を出しました。
白山市でした。
しかし、そこは3年で辞めてしまったんです。
金沢の水質はとてもいいんですね。28ppmっていう超軟水で。
だけど白山市は89くらいの超硬水だったんです。
金沢は崔川ダムから水を取っていて、白山市は手取川ダムからの水で、そこに伏流水で井戸水をまぜて、たくさんカルキを入れる水だったんです。
実際に、てぼがカルキで詰まってしまう程のカルキ量で、水が良くなかったんです。
うちの店は骨だけでやっていたんですが、カルキで煮たとんこつが酸化し真っ赤っかになっちゃった程でした。
勢いもあったので月商1,200万ほどあったんですけど。
だけど自分の納得いく味が出来なかったんです。
同じ材料使って、本店の水をポリタンクで運んでまでやっていたけど、やっぱり駄目でした。
その頃には、組織化して、法人化もして、従業員も増えていました。
僕も本店にいて、任せていた店長とかも何人か独立していきました。
そんな状態で、徐々に人が変わっていったということもあって、3年で辞めました。
内部留保で銀行の借金も一括で返せたので、そんな経緯でしたね。
その店は、居抜きで店舗を譲る形で、竹田 敬介さんにお願いしたんです。
味噌ラーメンのお店をやって2年くらいで肉そばに変えたみたいですね。
次に直江町で店舗を見つけて、「武骨屋商店」というセカンドブランドを作ったんです。
博多とんこつラーメンのお店です。
カウンター11席、テーブル6名席×2の23席
開業してみてはじめてわかったこと
シンプルに「ラーメンって甘くないな」と思いました。と瀧音さんは苦笑する。
師匠も、聞ける先生もいないし。
コンサルなんかもいないし誰にも頼らずやってきたので、ラーメン職人としての知識とか技術とかは最初はわからなかったですね。
それらすべては、莫大な授業料を払いながら身をもって経験しながら身に着けていきました。
最初はスープや味がぶれぶれでした。
実力が伴っていなかったんですね。
毎日いたたまれない気持ちで厨房に立っていました。
経験値を積むことで、スープのブレに対する対処方法を学んでいきました。
経験で身に着けたラーメン作り
奇跡のようなめぐりあわせで生まれた渾身のスープです
テンポスとのかかわり
創業当時から金沢の店舗で、99%はテンポスで揃えました。
今お世話になっている中薮さんが、レスポンスがいいんです。
「こういうのが欲しい」というとすぐに見つけて提案してくれるんです。
画像を送って、「こんなのが欲しいんです。」というと見積から寸法から何から、すぐに答えてくれます。
信頼関係があって、すぐに商品が届くので、本当に助かります。
今後の展望・開業する方へのメッセージ
「どうすれば失敗しないか」を考えて欲しい
今の時代、飲食っていうのに夢がなくなってきている時代かとは思うけども、「好きでやるんだと思う」ので勇気をもって飛び込んで欲しいですね。
「今やるか、やらないかのどっちか」だと思います。
イニシャルコストを極力落として、居抜きや、テンポスのリサイクル品を利用して。
最初にたくさん使いすぎずにミニマムスタートで初めて。
徐々に実績や実力をつけてから理想のお店、理想の味を追求して欲しいですね。
「どうすれば成功するか」でなくて「どうすれば失敗しないか」で考えるといい。
中古品だってメンテナンスとかしっかりすれば長く使えますしね。
今頑張っていること
沢山のお客様に愛されています
今、金沢らしさをだした、観光客やインバウンド客向けの金沢濃厚甘エビラーメン「紅牡丹」というお店もやっています。
金沢の震災後からは、炊き出しに行っています。
東日本大震災の時に「神仙(しんせん)」の川方社長と、僕の弟子と二回くらい炊き出ししました。
仙台の「五福星(うーふーしん)」さんとも一緒に。
今回の震災でも、「五福星」さんが仙台から来てくれて、九州の「博多だるま」の河原さんも来て、炊き出しをやってくれたんです。
地元で炊き出ししてくれるところがあまりないので、うちはやっているんです。
名前を出さないで、炊き出しをしています。
「細々と20年目、やってきました」37歳からやってきて今57歳、もう少しで還暦。
どうクローズするか、任せられるスタッフを教育中です。
まとめ
一つの失敗から生まれた、「魚介系とんこつラーメン」。
お客さんとのお話に夢中で、失敗したスープを食べてくれたお客様から頂いた「美味しい」の一言。
その一言がきっかけで、瀧音さん自身の「美味しい」の方向性が定まった。というお話は、まるでドラマの世界のようですが、ちょっとしたことがきっかけで、新たな扉が開く、というのは誰にでも起こりえる嬉しいハプニングかもしれません。
今回のお話を聞いて、失敗や自分で「駄目だ」と思ったことでも、実はいい方向性を生み出すトリガーになっている可能性があるのかもしれないな、と思いました。
そういう小さな可能性を見逃さないよう、「日々の積み重ね」と「思い切り」が大事なのだなと教えて頂きました。
これからラーメン屋を目指す方には、瀧音さんのおっしゃっていた、「どうすれば成功するか」ではなく、「どう失敗しないか」を念頭に、無理に大きい規模から始めず、小さくてもいいのでリスクを減らしつつこつこつと経験を積み重ねていって成長していって頂けたらいいなと思います。
テンポスドットコムでは、さまざまな視点からラーメン店の開業成功を全力で応援します。
自分のお店の業態に合わせて必要なものは何があるのか、詳細を確認することができますので是非ご覧ください!
#取材協力
店名:一心屋
店主:瀧音 信一 様
住所:石川県金沢市北町丁22
TEL:076-262-1483(予約不可)